日本の伝統工芸を活用する製作者集団代表
立川裕大氏 参照:https://www.shigoto-ryokou.com/article/detail/234
立川裕大氏は、1965年長崎県の生まれです。立川氏が代表を務める「ubushina (産品)」は、 日本各地の伝統的な素材や技術を有する職人と建築家やインテリアデザイナーの間を取りなし、空間に応じた家具・照明器具・アートオブジェなどをオートクチュールで製作するプロジェクト。古来からの伝統工芸の技術とデザイナーによる現代的なアレンジが注目を浴び、「東京スカイツリー」「八芳園」「CLASKA」「ザ・ペニンシュラ東京」「伊勢丹新宿店」など多くの施設で採用実績を持ちます。今回は伝統工芸の新しい顔を演出する伝統技術ディレクター、立川裕大氏をご紹介します。
家庭環境から伝統技術に興味を持つことに
GRANSTA TOKYOの江戸すだれ 参照:https://www.ubushina.com/works/
立川氏の家庭は父親が工芸品の卸売業を営んでおり、母親は日本舞踊の名取という、日本の伝統技術や文化に大いに触れられる環境でした。この環境は、立川氏が現在の伝統技術に関する仕事に就いた、大きな要因となっています。しかし、若いときには伝統技術に対する思いは希薄だったそうで、インテリアデザインに大きく心を動かされます。
20歳のときに、まだ日本では知名度の低かったカッシーナのショールームを見て、そのデザインに驚愕。その憧れを持ち、立川氏はカッシーナに営業職として入社をしたのです。ただ、カッシーナでの仕事は、自分がイメージしていた「デザイン」への関与からは、乖離していることに気づき入社後5年ほどで転職を決意します。
日本でデザインブームの先駆けを演出し、イタリアへ
伊勢型紙のシェード 参照:https://www.ubushina.com/works/
立川氏が次の職場に選んだのは、家具のセレクトショップ。当時はまだ「デザイン家具」などの概念が熟成されていない頃で、雑誌などにも取り上げられる最先端のショップでした。そして、立川氏自身も当時創刊されたばかりのブルータスなどの雑誌で、家具の規格やコラム執筆などにも携わっていたといいます。
その後、立川氏は1999年に独立。イタリアの大規模な家具展示会などに行き、アキッレ・カスティリオーニ氏やエンツォ・マーリ氏など、デザイン会の巨匠とも言える人たちと交流を持つことになります。立川氏が「ギフト」と呼ぶ、彼らから教わったことの中に、現在の ubushinaを始めるきっかけとなる言葉があります。それが「君がイタリアのデザインを好きなのはわかるけど、日本人なんだから、自分の足元を見たらどうだい?」と、いう言葉でした。その言葉に立川氏は「自分が日本人であること」に改めて気づき、自社で取り扱う商品をすべて伝統技術を切り口にした、メイドインジャパン製品に切り替えたのです。
唯一無二の伝統技術を未来に伝える
座り心地とデザイン、その2つの視点でを満足のいく椅子を製作 参照:https://www.ubushina.com/works/
多くの職人や産地との付き合いがある立川氏。仕事上、一番大切にしているのは「その人じゃなければできないこと」だといいます。その産地で、その職人でしか作ることのできないものこそが、市場の求める価値あるものであり、未来に伝えるべきものだと立川氏は考えているのです。
「生態系のある仕事」を目指す
ガラス 七宝編のキャンドルスタンド 参照:https://www.ubushina.com/works/
立川氏が目指すのは、「生態系のある仕事」。それは、土が樹木を育むように、文化や歴史といったものが樹木である「仕事」を育んでいき、花や果実など「成果」をアウトプットしていくことといいます。さらには、そのアウトプットされた「成果」はまた土に還り、さらなる樹木を育むことになるのです。
このように、一時のブームで終わることなく、綿々と続く伝統技術で製作されるものこそ、価値が認められ未来へ残すことが出来る仕事の成果なのです。
生産背景をアピールして本来の価値を知ってもらう
スタンド照明 参照:https://www.ubushina.com/works/
ubushinaでは、注文生産で伝統技術を駆使したプロダクトを生産しています。しかし、クライアントの中には、価格交渉で難航する場合もあるそうです。そのようなときに立川氏は生産地を案内して製造現場を見てもらうそうです。「生産地に来てもらえれば生産背景をきちんと見せることでもできます。そうすると定価でも大満足で買ってくれる。『こんなに手間暇かけて作ってるんですか? 安いですね』ってなります」。大量生産品との違いと生産過程を理解してもらえれば、本物の良さに必ず気づいてくれるはずです。
大量生産品との差別化を図り、適正な価格を維持しなければ産地も、そして職人も、伝統技術全体が衰退してしまう。立川氏はそのような危機感を持って、日本の伝統技術を守っているのです。