伝統を受け継ぐ若き製硯師
青栁貴史氏 参照:http://www.highflyers.nu/hf/takashiaoyagi4/#startcontents
青栁貴史氏は、1979年東京都浅草生まれの製硯師(せいけんし)です。製硯師とは、あまり聞き慣れない言葉ですが、書道に使用する硯(すずり)を製作する職人のこと。青柳氏は、書道用品専門店「宝研堂」内硯工房の四代目製硯師として、祖父、父から受け継いだ技術を継承しています。価値が高く美術品としても珍重される中国の硯である「唐硯(とうけん)」、日本で発展した実用的な硯である「和硯(わけん)」、どちらにも造詣が深く、修理や再現などもおこなっています。今回は日本で唯一と言われる製硯師、青栁貴史氏をご紹介します。
祖父、父の姿を見て迷わずに硯の道へ
硯にも設計図がある 参照:http://www.highflyers.nu/hf/takashiaoyagi1/#startcontents
青柳氏が硯の道を目指したのは、ともに製硯師であった祖父と父の姿を見て育ったからでした。硯を製作する職業は、製硯師以外に「硯作家」があります。硯作家は、採石地付近に工房を構え、現地石材の魅力で「作品」を造形して「銘」を残します。一方で、製硯師は、製作はもちろん、修理なども行うため深い知識と卓越した技術が求められますが、歴史的に名を残すことはないのです。
古代中国の名硯(めいけん)といわれるものでも無銘の物がほとんどで、製硯師は“無名の名工”の伝統的作硯技術と思想を受け継ぐ存在とも言えます。
青柳氏が祖父や父と同様に、“無名の名工”の技術を受け継ごうとしたのは、古来の人々の技術を守ることも目指したといいますが、それに魅入られた祖父や父の姿を見てきたからでした。親子三代に渡る硯への情熱が、現代の日本で製硯師という職業を支えているのです。
夏目漱石の硯を再現
宝研堂 参照:http://www.highflyers.nu/hf/takashiaoyagi2/#startcontents
青柳氏の工房では、祖父の時代からの製作、修理に関する資料やさまざまな石の情報も蓄積されています。そのため、多くの修理依頼や再現の依頼もあります。そのなかでも、2014年には夏目漱石の遺品の硯を修理し、さらに2017年には愛用していた硯を復刻製作をしています。
復刻製作では、特に資料も少なかったようですが、アウトラインをなぞるような復刻ではなく、青柳氏自身が当時の硯職人になりきり、漱石が生きていれば欲しがったであろう硯を製作したといいます。
書道人口は減少し、硯の需要も減っている現在でも、青柳氏は情熱を持って硯に関する知識と技術を磨いているのです。
未来の製硯師のために情報と自然を残す努力を
モンベルとコラボした「野筆セット」 参照:https://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1124740
青柳氏の研究熱心さは、周囲でも認められています。何度も中国へ足を運び、現地の硯を研究し、石についても多くの知見を持っています。その知識が認められ、大東文化大学文学部書道学科非常勤講師にも就任するほどです。そして、青柳氏は、学生や未来を担う若者、そして未来の製硯師のためにも、硯や石に関する情報と、硯をつくるための自然環境を守ろうとしています。
硯の技術や石の情報を集めることで自然を守る
市川猿之助のために製作した硯 参照:http://www.highflyers.nu/hf/takashiaoyagi1/#startcontents
青柳氏は硯の製作を進めながらも、硯の技術、そして石の採取方法なども後世に伝えることを、積極的に推し進めています。「こういう地形では採れないといったような石の調理法や採掘法を研究しているのは僕を含めて数少ないですが、この時代にそういった資料を作っておけば、将来誰かが無作為に石を乱獲して自然のバランスを崩すことを避けることができる。100年後、今よりもっと自然が少なくなった時代の製硯師たちに、自然への取り組み方を残したいと思っています」と、語るように、技術や情報を受け継ぐということは、文化を守るだけでなく、将来に渡る環境への負荷も減少させることができることを青柳氏は示唆しているのです。
筆を取って、墨を磨るきっかけをつくりたい
オンライン硯展のページもあります 参照:https://home-museum.net/suzuriten/
現代の日本では、書道をする機会がほとんどありません。青柳氏は、長く続いている毛筆文化をもっと日本社会に取り入れるきっかけを作りたいと、語ります。
そのために、日本で初となる北海道での硯石の発掘製作をおこなったり、史上はじめて隕石からの硯を製作したりと、人々が興味を惹かれるようなパフォーマンスを積極的におこなっています。そして、現在の目標は、月の石で硯を作ることだといいます。「硯が完成した時には、『月の硯で墨を磨ってみませんか?』と多くの人に問いかけてみたいと思います。そうして興味を持ってくれる人が増えて、やってみたら面白かったとなれば、そのうちの何割かの人にはひょっとしたら、その後も硯を使っていただけるかもしれないですよね」と、語る青柳氏。100年後の自然を考える発想といい、壮大なスケールの思いを持っているようです。それは、もしかしたら古来から無限の文字や絵を紡ぎ出してきた「硯」というものに魅入られた結果なのかもしれません。