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日本のものづくりデザイナー49~小代焼(しょうだいやき) 焼物師 西川 智成(にしかわ ともなり)

父から子へ、受け継がれる郷土の伝統技術


西川 智成氏 参照:https://www.athome-tobira.jp/story/166-nishikawa-tomonari.html

西川智成氏は1994年熊本県出身の焼物師です。小代焼中平窯(なかでらがま)の窯元である西川家の長男として生まれ、幼い頃から工房で焼き物に触れながら育ちました。大学卒業後は迷いなく父親に弟子入り。熊本を代表する陶器の伝統技法を会得するために日々努力を重ねています。今回は小代焼焼物師である西川智成氏と小代焼の奥深い魅力についてご紹介していきます。

失敗を活かすことで本物に近づく


白小代茶碗 (木箱付き) 参照:https://www.nakaderagama.jp/cont1/21.html

西川氏が窯元を継承すると決めたのは、まだ子供の頃でした。工房に出入りすることで自然と焼き物に対する信念のようなものが育まれたのでしょう。大学も将来を見据えて、佐賀大学の美術・工芸課程(現:芸術地域デザイン学部 )へと進学しています。
ただ、大学で陶芸を学んでも、伝統技術の習得は一朝一夕にはいきません。毎日が失敗の繰り返しだったと言います。

しかし、それを師匠である父親は咎めることをしませんでした。「弟子入りした頃は、釉薬が全く言うことを聞いてくれませんでしたが、父は何度も失敗させてくれました。そして、失敗から学ぶことの大切さを気づかせてくれ、失敗こそが成功の近道だと感じるようになりました」と西川氏が語るように、失敗を活かすこと、失敗の原因を考えることで、少しづつ本物の小代焼に近づいていったのです。

自由奔放な模様が人々を魅了する小代焼


流掛水指 参照:https://www.nakaderagama.jp/cont1/21.html

小代焼の歴史は古く、豊前藩の小倉城主、細川忠利の熊本移封(いほう:大名を他の領地に移すこと)にともなって、豊前上野で作陶をしていた陶工源七(牝小路家初代)と八左衛門(葛城家初代)が小岱(しょうだいさん)山麓に移り住み、窯を開いたことが始まりとされています。
小代焼の大きな魅力は、「流し掛け」という独自の技法により生まれる模様。器を動かしながら柄杓を使い釉薬を掛けてゆくことで、ほかの焼き物にはない、自由奔放で力強い模様が描かれるのです。
江戸時代には茶碗などを主に製作していましたが、後期になると、皿や鉢、徳利なども製作され、量産体制を図ったようです。
現在では、熊本県に11の窯元があり、平成15年には国指定の伝統的工芸品に指定されています。

未来を見据えて先人の技を探る


登り窯 参照:https://www.nakaderagama.jp/cont4/main.html

父親に弟子入りしてから2023年で7年目を迎える西川氏。その年に大きな仕事を託されたと言います。それは、登り窯の窯焚き。この作業は陶工にとって、非常に重要な仕事です。

器に命を吹き込む窯焚き


土作りの様子 参照:https://www.nakaderagama.jp/cont9/main.html

「窯焚きは粘土作りから始まり、時間をかけ積み上げてきたものが最後の一瞬で決まる重要な仕事です。30時間、炎をコントロールできなければ、器に理想の景色を描くことはできません」と、窯焚きの重要さを語る西川氏。言わば、器に命を吹き込む作業と言っても良いでしょう。
そして、最も難しいタイミングが「火を止める決断」。そのタイミングが器の美しさを大きく左右すると言います。「ラストの5分、薪の一くべ、二くべが勝負なんです。 今回、窯焚きを任せてもらえたのは、陶工人生において大きい財産になりました。最後の5分が描いた器の景色は、狙った美と偶然の美の狭間で生まれたと思います」と語るように、陶器づくりに重要な窯焚きという作業を通じ、陶工として大きく成長したようです。

先人の作品から見えてくるもの


展示場を常時解説 参照:https://www.nakaderagama.jp/cont3/18.html

西川氏は日々の器づくりの他にも没頭していることがあります。それは、江戸時代に焼かれた小代焼、古小代を研究すること。作品を見るだけではなく、触れてみて、指の跡に自分の指を重ねて先人の動作さえも体得しようと試みているのです
「器に残された痕跡から答えを探し出す、それが焼き物のロマンだ」と語る西川氏。作陶が大好きな青年は、伝統技術を確実に引き継ぎ、そして、未来へと渡してくれるでしょう。

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