伝統技法を受け継ぐ若き鍛冶職人
稲垣良博氏 参照:https://www.athome-tobira.jp/story/170-inagaki-yoshihiro.html
稲垣良博氏は2000年生まれで神奈川県出身です。幼い頃から刃物をつくる鍛冶職人に憧れを持ち、自ら鍛冶職人になるべく、金物の街として知られる新潟県三条市の「三条鍛冶道場」にて研修を受けて現在修行中です。今回は若き鍛冶職人である稲垣氏と、修行先である若き職人の育成を担う三条製作所の水落氏をご紹介します。
憧れの職業は包丁鍛冶
水落 良市氏 参照:https://www.athome-tobira.jp/story/170-inagaki-yoshihiro.html
稲垣氏が包丁鍛冶を知ったのは、小学生の頃にみたテレビ番組でした。その時、一心不乱に鉄を打つ職人の姿に衝撃を受け、「自分もああなりたい」との憧れを覚えたといいます。
その気持は高校生になっても変わらずに、高校在学中に三条市の鍛冶専業職人の団体、越後三条鍛冶集団の研修制度「三条鍛冶道場」に合格し、卒業と同時に研修生として修行を始めます。そこで出会ったのが、日本剃刀を製造する三条製作所の水落氏でした。
越後三条鍛冶集団
三条鍛冶集団の研修風景 参照:https://kajidojo.com/facility/
新潟県三条市は日本でも有数の鉄・鋼の生産地です。室町時代には、大崎鋳造師と呼ばれる技術集団が広く活動していたことが知られています。江戸時代初期には水害から農民を救うために江戸より和釘職人を招致し、副業として和釘作りを奨励しました。
しかし、江戸で起きた「明暦の大火」(1657年)による膨大な和釘の需要を受け、副業ではなく鍛冶専業職人が生まれ現在の三条市付近に集落を形成、これが現在の越後三条鍛冶集団の起源と言われています。
現在では、職人の団体であると同時に国指定伝統的工芸品である「越後三条打刃物」の伝統を伝え、職人を育てる研修期間としての役割を担っています。そして、越後三条鍛冶集団の主要メンバーである水落氏は親方として、稲垣氏を指導しています。
科学と伝統が紡ぐ日本剃刀
三条製作所の剃刀 参照:https://sanjo-school.net/spblog/?p=3026
水落氏が稲垣氏に伝えているのは、「日本剃刀」の製造。使い捨ての剃刀とは全く違うその機能性は、製造に時間はかかりますが、静かなブームを巻き起こしている逸品です。
科学的理論に裏打ちされた伝統技術
三条製作所の作業風景 参照:https://sanjo-school.net/spblog/?p=3026
鍛冶の仕事に一歩踏み出したばかりの稲垣氏ですが、日本剃刀について「こんなに面白い刃物は他にはない」と実感していると言います。
それは、日本剃刀の小さな刃の中に鍛冶の技術が集約されていることにあります。水落氏は日本刀の製造などを参考に独自の方法で日本剃刀を製造、同時に金属を合金にしたり、加工する原理や方法、技術などを研究する「冶金学(ちきんがく)」も駆使して科学的な理論に基づいた製造を実践している第一人者です。
世界が驚く品質を受け継いでいく
三条製作所の作業風景 参照:https://sanjo-school.net/spblog/?p=3026
稲垣氏は、現在全国から送られてくる工房で製造した日本剃刀の修理も担当しています。水落氏や、その先代がつくった日本剃刀を修理することで、当時の製法を学び、また使用した人の癖などを知り、現在の日本剃刀造りに活かせると言います。
一時期三条市産の刃物需要はドイツ製品に多くのシェアを奪われた時期もありました。しかし、科学的理論に裏打ちされた伝統技術により、その品質を認められて、現在では若い職人を育てて技術を継承する制度もできています。
伝統技術を継承する若者は少ないと言われています。しかし、稲垣氏のように子供の頃から憧れて、その夢を叶えようとしている若き職人もいるのです。その姿を見ることは、伝統工芸品の魅力を改めて知ることにもなるでしょう。