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日本のものづくりデザイナー60~丹後ちりめんプロデューサー 楠 泰彦(くすのき やすひこ)

30歳で家業を継いで手織り主体へと改革を実行


楠 泰彦氏 参照:https://www.projectdesign.jp/articles/8e6051b6-4a57-4368-8bc8-df5e4c5567c4

楠泰彦氏は1976年京都市丹後の生まれです。家業の丹後織物の企業である「クスカ」に30歳で入社し、今まで機械織りの大量生産を行っていた体制を一変。オリジナリティを重視した手織りの高級ネクタイを生産して、アパレル業界から大きな注目を浴びています。今回は丹後ちりめんの伝統を受け継ぎ、新たな道を見出した楠泰彦氏をご紹介します。

久しぶりの帰郷で見た丹後の窮状


工房内にあるのはすべて手織り機、全部で20台 参照:https://www.kougeimagazine.com/crafts_now/lifeandcraft_kuska/

楠氏の中学校・高校時代は野球漬けの日々でした。野球の強豪校である中・高一貫校に入学と同時に実家から出て寮生活。卒業後も地元へは帰らずに東京の大学に入学し、サーフィンを始めます。建築関係に就職すると、海外にまで出かけるほどサーフィンに夢中になったそうです。
その間、それほど実家のことを考えることはなかったそうですが、サーフィン雑誌で丹後の特集が組まれているのを見て、実家にUターンを決意しました。
しかし、そこで見たのは、昔のように活気がある故郷の姿ではありませんでした。織物産業は衰退し、実家では生産量の減少や職人の高齢化など大きな問題が山積していたのです。

手織りの伝統を復活させて、オリジナルブランドを立ち上げ


丹後の海をイメージした鮮やかなブルー。KUSKAのブランドカラーです。 参照:https://kuska.jp/sample/?fabric=2

実家の窮状を見た楠氏は、家業の継承を決意します。機織りの技術を教える施設である京都府織物・機械金属振興センター で2年間学び、どうしたら丹後ちりめんを復活させることができるのかを考えました。
そこで思いついたのが、機械織りの大量生産をやめて、手織りにすることで他の製品と差別化をすることでした。それと同時に問屋、染め屋、染め問屋、小売問屋、地方問屋などがある織物の流通を自社で担い、シンプルにすることにも挑みました。これにより、自社ブランドを立ち上げ、て、「クスか」は直営ショップを持つことになります。

地域産業が蘇るきっかけとしてのクスカ


鮮やかなレッドですが、立体感からくる陰影や黒の縦糸が上品さを加えます。 参照:https://kuska.jp/sample/?fabric=4

丹後ちりめんは高級着物の生地に採用されていた歴史を持ちます。楠氏はその歴史を継承して、ネクタイの生産を始めました。2010年にはメンズブランド「クスカ」を立ち上げ、現在では帝国ホテル内にフラッグシップ店を持ち、銀座和光や有名百貨店でも取り扱われています。

進化した手織りがオリジナリティを形成する


銀座和光とのコラボレーション

「つくりたいものはすべて、自分たちで道具からつくってますから。単に昔ながらの手織りの仕事に戻したというのも違って、今と昔のよさをハイブリッドにして、独自のクリエーションを生んでるのがうちの強みかなと思います」と語る楠氏。
手織りをすることにより、ちりめん織の特徴である、経糸と緯糸の間に空間かできて、それか立体的な織物の表情になるといいます。その生地の表情こそが、多くの人を魅了するのでしょう。

丹後の良さを発信して、産業の復興を目指す


ユナイテッドアローズとのコラボレーション

丹後の暮らしやものづくりを伝えるため、楠氏は「TANGO」というWEBメディアを立ち上げました。その発信により、丹後で織物の仕事をしたいという若者も増えてきたといいます。クスカも製造現場社員12名のうち、3名は移住者です。
また、楠氏は職人の働き方改革にも取り組んでいます。子育てなどと両立ができる体制を整え、地域での暮らしを充実した者にすることで、丹後へとさらに移住者を呼び込み、そして、若い人が離れていかないようにする方策を考えています。
人が増えることで、地域全体も、地域産業も蘇る。楠氏は子供の頃には当たり前だった、活気のある故郷をもう一度実現するために惜しみない努力を続けています。

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