美術とは無縁の世界から飛び込んだ張り子職人
三浦智子氏 参照:https://crafteriart.jp/artists/618/
三浦 智子氏は1985年生まれで鹿児島県の出身です。高校生の頃に親の転勤により、鹿児島県から福岡県に引っ越しをし、その後は一般企業に就職。そこで、現在の師匠の次男と結婚をします。家のことをやるうちに家業である張り子の作業も手伝うようになり、やがて、義父である師匠に本格的に指導を受けるようになっていきました。今回は不思議な縁で職人の世界に入った、 三浦 智子氏をご紹介します。
美術が苦手だった女性が飛び込んだ張り子職人の世界
豆虎 参照:https://crafteriart.jp/tomoko-miura/
「張子作りの手伝いをしはじめた時は、義父が貼ったものに白い絵の具を塗る作業をしていましたが、どんどん他の作業もやってみたくなって『教えてください』とお願いしました」と語る三浦氏。
美術などとは全く無縁だったといいますが、作業を手伝ううちに、貼る、描く、売る、それぞれの作業に楽しさや魅力を感じたといいます。また、博多張子の特徴としてデフォルメされた個性的なビジュアルがありますが、そこに対しても非常に興味をそそられたといいます。
正式に修行を始めて3年、現在では技術の研鑽、知識の取得に努め、福岡市主催の体験講座や実演販売などを通じて、博多張子の魅力を積極的に広める活動もおこなっています。
博多の人々に愛される伝統工芸品「博多張子」
色和紙だるま(夜空) 参照:https://crafteriart.jp/tomoko-miura/
博多張子とは、現在も博多で愛される民芸品です。極上の手引きの和紙や新聞紙、フノリを材料とし、人形用の土で作った型、あるいは木の型に張りつけて天日で乾かし、ひとつひとつを手書きで彩色することで個性的なビジュアルができあがります。
また、縁起物としても大きな需要があり、博多どんたくのにわか面や十日恵比須の飾りの鯛で親しまれ、博多の人々にとって欠かせない物となっています。
時代に合った新しい張り子を生み出す
男だるま2号
義父である師匠は、張り子職人として5代目になります。そして、2022年には三浦智子氏が正式に6代目として、制作全般を任されるようになっています。同氏の目標は「新しい張り子作品」を生み出すことにあります。
伝統を踏まえながら新しいものを
ひょっとこ面
博多張子の魅力は、デフォルメした可笑しさ、面白さにあるという三浦氏。「それだけでなく『猿のお面』には『魔が去る』のような験かつぎや洒落っ気もあるんです。そういった張子の魅力を無視して、ただ可愛い、若い人にウケるものを作っていたら、伝統からどんどん離れていってしまいます」とも語ります。
時代に合った新しい張り子を生み出すことは大きな目標ですが、「義父や先輩方に『伝統工芸品です』と胸を張って言えないものは出せない」ということが大前提にあるのです。「これは博多張子と名乗っていいものなのか」ということを常に意識することは、三浦氏にとって職人としての矜持とも言えるでしょう。
やりがいを持って博多張子の魅力を発信
ふく 参照:https://crafteriart.jp/tomoko-miura/
色々な人に博多張子の魅力を知ってもらいたいと思っています、という三浦氏。「実演で海外のお客様がいらした時に『縁起』や『幸運』というものは、世界共通で人を笑顔にできるものだと実感しました。私もお客様の笑顔を見て『自分は人をポジティブにするものを作っている』と前向きになることができますし、作品一個一個に気持ちが入りますね」とも語ります。
他の伝統工芸と同様に後継者不足に悩む博多張子ですが、自分自身も楽しみながら多くの人に魅力を発信する三浦氏の姿勢は、多くの人に認められています。
これからも博多張子職人としてのプライドと、先代たちが守り続けてきた博多張子を絶やしてはいけないという強い想いが、今後も三浦氏を突き動かしていくことでしょう。