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日本のものづくりデザイナー45~信楽作家 藤原 純(ふじわら じゅん)

伝統の信楽焼で自分の作品を表現する


藤原純氏 参照:https://www.shigaliving.co.jp/city/life/8699.html

藤原純氏は1979年、滋賀県甲賀市の信楽町の出身です。高校卒業後に滋賀県工業技術総合センター信楽窯業場にて、信楽焼の伝統的な成形方法である「大物ロクロ(大物陶器製品を電動ロクロにより成形する信楽の伝統技術)」を学びます。1998年には家業である窯元「古仙堂」で作陶を開始。それと並行して、2000年には陶芸作家「藤原純」としての作品づくりも活発におこなっています。今回は、窯元としての伝統を守りながらも、作家として独自の世界を構築する 藤原純氏をご紹介します。

祖父から勧められ陶芸の道へ


古仙堂の内部とカエルの焼き物 参照:https://www.toshoo.net/user_data/koubou_fujiwara.php

藤原氏の実家は焼き物の街信楽で、曽祖父の代から続く窯元です。小さい頃から作業所に出入りしていた藤原氏は、自然にものづくりへの興味が高まり、子供の頃から将来は作家や彫刻家を目指していたと言います。そんな孫を見て、祖父も窯元の4代目として事あるごとに陶芸を教えてくれました。
祖父の熱心な勧めもあり、藤原氏は高校卒業後に窯業技術者養成をおこなっている、滋賀県工業技術総合センター信楽窯業場で研修。1999年に家業である古仙堂で陶器製作に携わります。
藤原氏が特に好きだったのが、動物の造形をつくることでした。古仙堂では、初代から動物の焼き物が得意で、特にカエルの置物などが人気でした。その影響を受けた藤原氏も、陶芸をはじめて10年位は器などは製作せずに、動物のオブジェばかりを作っていたと言います。

日本六古窯としても有名な信楽焼


古仙堂の植木鉢

信楽焼の名称は、多くの人が聞いたことがるでしょう。滋賀県にある信楽町(現在は合併により甲賀市)を中心に、鎌倉時代中期頃から製作が始まったとされています。その作風で最初に思い起こすのは、ユーモラスな狸の置物ですが、古来から水瓶、種壺、茶壺、茶器、徳利、火鉢、植木鉢など大物から小物に至るまでの幅広い製品があります。
近代では、傘立、タイル、庭園用品(テーブルセット、燈籠、照明具)、食器、置物など多様な製品が生産され、狸の置物は、近代信楽最大のヒットと言われています。
瀬戸、越前、信楽、丹波、備前と並ぶ日本六古窯に数えられ、独特の「わび」「さび」が表現された風合いは、現在でも多くの人気を集めています。
藤原氏の家業である古仙堂も、4代にわたり多くの信楽焼を生産してきた人気の窯元です。

窯元の仕事と作家としての表現を両立


藤原ブルーのプレート皿 参照:https://shop-onlacru.com/?pid=167325204

藤原氏は2000年代から窯元の仕事と並行して、陶芸作家としての仕事にも挑戦しており、現在では、その独特の作風で多くのファンを獲得しています。家業の方は家族や従業員が総出で作業、作家としての活動は、その合間を縫って、夜中などに作品づくりをおこなっているそうです。

藤原ブルーと曲線の躍動感


マグカップ 参照:https://shop-onlacru.com/?pid=167325204

藤原氏がつくりだす作品は、「藤原ブルー」ともいわれる色が特徴です。器のほとんどが白をベースにしていたことに疑問を持ち、試行錯誤の上で現在の美しいブルーが発色できるようになったと言います。そして、もう一つの特徴は躍動感。
「僕は子供の頃からお寺とか好きで、だから彫刻家になりたかったし、仏像とかね。他にも門についている金具がかっこいいなとか思ってて。元々、曲線が繋がっているのが好きなんです。動物のオブジェとかも曲線の繋がりから作っているイメージがあるので、その一部を切り取って作っていますね」と、語るように持ち前の感性から生まれた、独自のフォルムだということがわかります。

受け継がれる作品と若い世代への継承


各種食器 参照:https://altoyo.net/about-fujiwarajun/

陶芸作家として、自分の名前で活動している藤原氏ですが、通常の窯元の作品には作り手の名前は出ません。しかし、それらの作品も多くの人々によって大切に使われています。
あるお客さんから焼き物の裏のハンコを調べて問い合わせてきた方がいたそうです。作品の修理依頼だったのですが、それが、古仙堂の初代、藤原氏の曽祖父の作品だったことがあり、窯元の歴史と作品が受け継がれていく証を感じたと言います。
鎌倉時代中期に始まったという信楽焼は、時代の趨勢により、用途も変化してきました。その作風も藤原氏がつくる器のように新しくなっていきます。しかし、変化しないものがあることも多くの人が認識しています。それは、技術であったり、綿々と受け継がれてきたものづくりへの精神であったりするでしょう。
藤原氏は現在、地元の高校で信楽焼やものづくりについて生徒たちに教えています。技術的なことはもちろんですが、信楽という街で受け継がれてきたものづくりへの精神も若い世代へと継承しているのです。

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