「値段」で判断されない漆器への転換
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我戸正幸氏は1975年石川県山中温泉の生まれです。歴史ある山中漆器を製造する漆器製造店「我戸木工所」の後継ぎとして育てられ、28歳のときに実家を継ぐため帰郷しています。ただ、その頃の山中漆器は「低価格」が求められる状況で、伝統工芸品としての価値は大きく損なわれていました。そこで、我戸氏が考え出したのがデザインによる方向転換でした。今回は山中漆器の価値を再び高めることを目指す我戸正幸氏をご紹介します。
漆器の一大産地「木地の山中」が直面していた価格の問題
我戸氏の実家である我戸幹男商店(旧 我戸木工所)は1908年創業の山中漆器の製造所です。山中漆器とは、石川県加賀市の山中温泉地区で作られる漆器で、県内の漆器の3大産地として「塗りの輪島」「蒔絵の金沢」に並ぶ「木地の山中」と言われるほど。特に挽物木地(ひきものきじ:木材をろくろで回転させながら刃をあて、削り出して器物を作ったり装飾を施したりする技術)が有名で、全国一の生産量となっています。
我戸幹男商店も創業当初は、漆器のもととなる木の加工・成形を行う「木地屋」としてスタートしましたが、その後、商品開発や各種工程の品質管理や納期などを含めたビジネスプロセス全体を管理するようになります。しかし、我戸氏が帰郷した当時は他の漆器と比べてクオリティよりも低価格を全面に押し出した商品構成となっていたのです。
デザインの力で価値観を転換
我戸氏は家業を継ぐために、高校を卒業後は経理の専門学校へと進学。その後は東京の漆器問屋で8年間流通から販売を学びました。
問屋として他地域の漆器事情も見ていた我戸氏は、「自分たちの商品が値段でしか判断されなくて、それが惨めで仕方なかったです」と、語るように価格競争に終始する故郷の伝統工芸に大きな危機感を抱いきました。
そこで、考えたのがデザインの力で価値観を高めるということ。若い力を活かし、同世代のデザイナーたちとコラボレーションを通して、新しい漆器をつくり出していったのです。
ただ、我戸氏のこだわりは、すべてデザイナー任せにしないことでした。我戸氏自身がディレクターになることでデザイン性と伝統技術が融合して、同社の製品はグッドデザイン賞やドイツ連邦デザイン賞を受賞するなど大きな注目を浴びることとなったのです。
アイデアが消費を掘り起こす
デザイン性や実用性が一般の人にも注目される中、我戸氏は地元山中温泉に「GATOMIKIO/1」という直営店を開設。さまざまなアイデアで山中漆器の魅力を伝えています。
時代に合った価値観
環境を考慮した製品が求められている現代、我戸氏もさまざまなアイデアに取り組んでいます。例えば、カカオ豆の未活用部位である「カカオハスク」を使ったアップサイクル素材の利用です。菓子メーカーの明治などが開発した技術で廃材を利用した木材の成形品で、これを削り出すことでサスティナブルな漆器を製造しています。
また、木目などでわずかに品質基準に達していない製品でも、白いチョークでその部分を明示することで販売する「GATOMIKIO/charkmark」という商品も、正規品になれなかった原因も含めて商品の魅力を伝えるものとして販売しています。
昔ながらの伝統技術を駆使した現代の漆器
「100人いたら100人に売るための商品開発はもう難しくなっていて、どの価値観の人にピントを合わせるかを大切なんだと思います」と語る我戸氏。現代では万人受けをする商品よりも、デザインやサスティナビリティなどの付加価値により、「消費を掘り起こす」ことが重要だとも言います。
ただ、忘れてはならないのが、継承してきた技術。どんなに時代が変わっても、山中漆器の根底には培ってきた伝統技術がある、それこそが時代に合ったアイデアを生み出す原動力にもなっているのです。