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修理していつまでも大切に使いたい!1本100円時代の職人による高級傘

 

あれ?私のはどれだっけ?安価で手軽なビニール傘の時代

 

外出中突然の雨。慌ててコンビニや100円ショップに駆け込んでビニール傘を買ってその場をしのぐ。そんなことはよくありますし、そのままこのビニール傘を普段も使っているという方も少なくないことでしょう。

しかし、そのなんの変哲もないビニール傘はどうなるのでしょうか。骨がもろくて強風に煽られて無残に壊れてしまったでしょうか。電車の中に置き去りにしてしまったでしょうか。傘立てに置いたら、誰かに持っていかれてしまったでしょうか。

日本の傘の消費量はなんと1億2000万本〜1億3000万本!2021年度の調査では、日本の人口は1億2557万人と発表されているので、すべての国民が1年で1本以上傘を消費していることになります。この消費量は世界一です。実際に、1年で傘を数本買った覚えがある方もいるでしょう。

日本の降水量は世界の平均と比較すると多いほうですが、2017年のデータによると、世界ランク48位。まだまだ上がいるといった感じで、本当に世界一傘が必要かといったら疑問です。

日本の圧倒的な傘消費量に貢献しているのは、コンビニやドラックストア、100円ショップでも買える安価なビニール傘。雨が多いからではなく、どこにいても簡単に安いものが手に入ってしまうからといってよいでしょう。

そして、時には1回使ったきりでまだ使えるのに捨てられてしまうビニール傘は、材質が様々で、鉄やプラスチック部分などの分別が難しくリサイクルに不向きです。大量のプラスチックの山が処理しきれずに積み上がり、社会問題にもなっています。

もしも、今安価なビニール傘が売られていなかったら。1本の自分だけの大切な傘、長く愛用する傘をみんなが選ぶのではないでしょうか。その人の思い入れや好みが反映された傘が、雨雲の下に開かれるのかもしれません。そしたら、傘の消費量は減るでしょうが、ゴミ問題も解決し、傘はきっとその人の長年の良きパートナーになるでしょう。

今回は、日本の傘作りの歴史、現代の傘事情について紹介します。

 

日本の傘の歴史

日本での傘の登場は、はっきりとした記録はありませんが、『日本書紀』にある「蓋」という技術が最初といわれています。いずれにしても、当初は庶民が使うようなものではありません。庶民の日用品になるのは江戸時代になってからです。

江戸時代の傘作り、純国産洋傘が作られるまでの流れをおっていいきます。

忍者が傘張職人に?江戸時代の傘職人

日本人は昔から傘が大好き。浮世絵を検索すれば、傘を手にした人物のモチーフがたくさんでてきます。傘を手に見得を切る歌舞伎役者の姿も印象的です。様々な色、柄の傘。江戸時代の人は傘のファッション要素を大切にしていました。

日本にいつから傘があったのかははっきりしませんが、平安時代後期には存在したようです。しかし、今のように、誰もが傘を使っていたのではありません。江戸時代に作られた新品の竹骨と油紙の傘の価格は、現代の貨幣価値にして1万円以上。庶民では手がでません。

そこで、油紙が古くなって破けてしまった後に新しい油紙を張り替えて売ったのが「張替傘」。時代劇によくでてくる浪人の内職の定番「傘張り」とは、この油紙を張り替える作業のこと。張り替えにも技術が必要で、本来の仕事を失った甲賀の忍者に熟練者が多かったとか。かつては戦場で活躍した忍者の子孫が、平安の世には職人に転身していたというのは面白いですね。しかも、彼らの仕事が実はリサイクルであったことが驚きです。

 

日本での洋傘の登場

江戸時代の庶民の傘といえば和傘。竹や木や糸の天然素材の骨組みに、紙を張ったものでした。現代の洋傘の骨の数は、傘の大きさにもよりますが、少ない場合は10本以下のことも多いです。

しかし、和傘の骨は40本から50本以上あります。それは、骨の内側に細かく手作業で和紙を張り、傘をスムーズに畳み込めるようにするため。「傘張」の作業は、かなり手間がかかり、技術も要する作業だったと考えられます。

洋傘が本格的に日本に輸入されたのは幕末のことですが、当時の骨の素材はなんと鯨のヒゲで、それに絹や綿を張っていました。大変な高級品でしたが、骨の数は和傘の半分以下であり、その構造だけではなく、閉じ方、持ち方も和傘とは異なります。

和傘の骨は、竹で50本となると、実際かなり重く、片手で軽々持つのは難しかったはずです。そこで、使い勝手の良い洋傘を日本でも作りたいと考える日本人もでてきます。

 

元白粉屋さんが製造した日本初の洋傘

 

出典:東京都産業労働局東京イチオシナビナビ|東京傘

明治に入ってもしばらく洋傘は輸入品、舶来品のみでした。黒く蝙蝠が羽を広げているように見えたため「蝙蝠傘」と呼ばれた洋傘は人気を博します。ついに日本製の洋傘の製造が始まります。

日本で初めて洋傘を作ったのは坂本商店。江戸時代には白粉(おしろい)を扱っていました。浮世絵や当時の出版物に広告を入れることで、白粉を江戸の女性に欠かせない人気化粧品に押し上げたのは坂本商店なのです。

これから流行る新しい商品を自ら生み出していくイノベーターの遺伝子を持った坂本商店。5代目店主が明治になって人気に陰りがみえていた白粉に代わって目をつけたのが洋傘でした。まったくジャンル違いの思い切った商売替えですが、それが大きな成功をおさめます。

1872年、明治5年。すでに洋傘の輸入、販売を行っていた坂本商店が輸入傘を分解し、その部材を使用して日本で初めての洋傘を製作しました。その名も「仙女香」。それは白粉のブランド名だったそうですが、その名にふさわしくとても優美な傘です。

現存している「仙女香」は、すそ部分には総がついていて、ほっそりとした持ち手もとてもおしゃれ。外側に白、内側に薔薇色の布が骨を覆うように張られています。二重構造の布により、布と布との間に空間ができ、光や熱の遮断率がアップ。職人の手仕事による美と実用性を兼ね備えた逸品です。

文明開化の町を洋装で「仙女香」をさして歩く婦人や令嬢が目に浮かびますね。

 

純国産洋傘の時代へ パーツごとの分業化が進む

日本洋傘振興協議会|Vol.1 洋傘づくりは分業制。露先だけの専門業者も

当初は骨などを輸入に頼っていましたが、明治22~25年頃になるとすべてのパーツが日本国内で作られる純国産洋傘が登場します。

傘は骨と持ち手と布地さえあればできるように見えますが、元来の洋傘は例えば先端の露先や石づきなど、実は細かいたくさんの部品があります。なんとその点数はおよそ40~50点。しかも、同じ部品でも色や形などが様々あり、一つ一つが専門の技術を持った職人の手によるものです。

そのため、小さな1つ1つのパーツを担当する職人がいて分業することで1本の傘が作られています。しかし、今残念なことに、パーツの専門業者は少なくなっており、技術をどのように継承するかが課題となっています。

 

現代に継承される日本の傘職人の技

日本の洋傘職人の数は減少し続けていますが、2018年に東京の伝統工芸品として「東京洋傘」が認定されました。ビニール傘が毎年日本の人口の数ほど大量生産される中、それでもその技術を惜しむ声は多く、引き継いでいこうという試みがあるのです。

現在でも、骨を製作する骨屋、生地を製作する生地や、手元(持ち手)を製作する手元屋などが、それぞれ技術の粋を尽くして、1本の傘を作り上げています。

例えば、同じサイズの傘であっても生地によって用いる型が異なることはご存知でしょうか。しかも、まとめて何枚も裁断するのではなく、1枚1枚丁寧に裁断していくのです。そうした作業によって、傘の美しさ、使いやすさを決める絶妙な傘のフォルムが出来上がります。

また、江戸時代の日本傘の折には、忍者の子孫も担当していた張りの作業。傘の骨のカーブしている部分を谷落ちといいますが、そこの布の張り具合は現代の職人にとっても最も苦心する部分です。

理想的な谷落ちが完成すると、雨が傘を伝い落ちるその音色まで違います。傘の美しさは生地だけではなく、張り方の影響が大きいのです。その美と機能性は長年の経験によって生み出されています。

 

一生傍にあるお気に入りの1本を

傘とは必要から生み出された日常生活で使うものです。だからこそ、元々は高級品であっても、技術や化学の発展により量産化され、価格が下がっていくのは仕方がないことともいえます。

しかし、そんな時代だからこそ、継承された技術による付加価値を求める方も少なくありません。

職人が作る傘とは、ずっと見つめていたくなるほど美しく、風に強く頑丈で、軽くて使い勝手がよく、太陽の光から肌を守ってくれる…さらに、大切に扱えば長持ちします。使い捨てビニール傘の文化が浸透している現代の日本では「傘って修理できるの?」「修理するものなの?」と思う方も多いでしょうが、職人が作る傘は修理も可能。簡単に新しい物が手に入る世の中で、あえて修理するその手間をどう感じるのか。人それぞれかもしれませんが、修理しても使い続けたい1本を持っていること。それはとても素敵なことではないでしょうか。

「傘は無くしてしまうから高級品は買えない」という方もいますが、お店の傘立てに入れたら、自分のものが判別できなくなることもあるビニール傘。だからこそ、その存在を忘れてしまい、置いていってしまうのかもしれません。特別な自分だけのものだと思っていないから…。もしかしたら、高価なお気に入りの傘を持つことが忘れ物防止になるかもしれませんね。

「高級な傘はどう選べばいいか分からない」そんな場合は、洋傘売り場のスペシャリストである「アンブレラ・マスター」の資格を持つ販売員の方に尋ねるのもおすすめ。アンブレラ・マスターのいるお店一覧は日本洋傘振興協議会のホームページにあります。

 

参考:

データのじかん|実は傘の消費量が世界一!? 日本では年間で何本の傘が消費されているのか?

グローバルノート|世界の年間降水量 国別ランキング・推移

日本洋傘振興協議会|本当に江戸の浪人は傘張りの内職をしていたのか? —時代考証でみる江戸の仕事事情

TOKYOイチオシナビ|東京洋傘

日本洋傘振興協議会|Vol.1 洋傘づくりは分業制。露先だけの専門業者も

日本洋傘振興協議会|洋傘の歴史

ミツカン水の文化センター|日本の傘にまつわる略年

小宮商店|なぜ、白粉のNo.1ブランドは洋傘に商売替えしたのか?

日本洋傘振興協議会|アンブレラマイスターについて

 

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