日本一の匠と逸品を知りたいみんなのためのコミュニティサイト 匠ウォンテッド

日本のものづくりデザイナー16~デザイナー・吉岡 徳仁(よしおか とくじん)~

三宅一生氏の教えを受け、幅広いデザインが開ける


吉岡徳仁氏 参照:https://openers.jp/Gallery/318821?gallery_page=2

吉岡氏は、1967年生まれ、佐賀県佐賀市の出身です。三宅一生氏などの元でデザインを学び、空間デザイン、プロダクトデザインなどに挑戦。2000年に独立を果たしたあとは、国際的な賞も多数受賞し、2020東京オリンピック・パラリンピックの聖火トーチのデザインも担当しました。今回は世界的なデザイナーとして、多くの製品を発表し続ける吉岡徳仁氏をご紹介します。

デザイナーを目指していた幼少期


2吉岡氏がデザインした東京オリンピック、パラリンピックの聖火リレートーチ 参照:http://www.highflyers.nu/hf/tokujinyoshioka3/#startcontents

決して活発な方ではなかった、という幼少期、吉岡氏は理科と図工が好きな教科だったといいます。少し異なるジャンルのようにも思えますが、実験の様子を絵に書いたり、キノコの胞子で図案を考えたりと、自然にどちらも自分の中に取りこんでいたようです。
小学校2年生のときには、すでにデザイナーや画家といった職業に憧れていたそうで、中学生から油絵を習い、高校はデザイン科のある学校に進学するなど、着々と夢を実現する道程をたどっていきます。

デザイナーズブランドが全盛の時代、ファッションとデザインの融合を目指す


3携帯電話のデザインも出掛けている 参照:https://openers.jp/design/design_features/16449

高校を卒業した吉岡氏は、東京の桑沢デザイン研究所に進学します。時代はデザイナーズブランドが誕生し、ファッション全盛期だった頃。桑沢デザイン研究所も多くのファッションデザイナー志望者が学んでいましたが、吉岡氏はプロダクトデザインを学びます。理由は、その頃にはまだデザイン化された工業製品が少なかったから。新たな挑戦を望む気質は、この頃から芽生えていたのかもしれません。
もちろん、ファッションが嫌いだったわけではありません。ファッションの世界からは大いに刺激を受け、自らのデザインへの影響も大きかったと言います。そして、プロダクトの経験も活かしながら、卒業後はインテリアデザイナーの倉俣史朗氏のもとで空間デザインに携わることとなります。主な仕事はファッション全盛の時代に、ブランドイメージを反映した店舗デザインでした。その需要は多く、事業には三宅一生氏など多くの著名なデザイナーが関わり、吉岡氏は貴重な体験を重ねていったのです。

世界を意識して独立


4「ガラスの茶室 – 光庵」 参照:http://www.highflyers.nu/hf/tokujinyoshioka2/#startcontents

その後、吉岡氏は独立してフリーとなります。世界から注目を集めたのは、イッセイミヤケのパリコレで、帽子などのデザインを担当したことからでした。そこから本格的に創作活動を開始して、「ガラスの茶室 − 光庵」や「Honey-pop」など、現代アートにも通じる作品を発表していきます。

海外の反応がエネルギーになる


紙の椅子「Honey-pop」 参照:http://www.highflyers.nu/hf/tokujinyoshioka3/#startcontents

吉岡氏は独立後、海外を意識したビジネスを展開していきます。その理由については次のように語っています。「どうしても国内だと突き抜けられないものがあったので、これはもう世界に出るしかないと思っていました。良くも悪くも直接評価されるのがいいと思いました。それに、昔、一生さんのところでパリコレクションを担当させていただいた時に、海外の素晴らしい反応が、私たちにものすごいエネルギーを与えてくれた経験も大きかったです」。
海外での素直な反応こそが、自分の実力を伸ばしてくれると確信していた吉岡氏。その結果、作品はニューヨーク近代美術館やフランス国立近代美術館など、世界の主要美術館に永久所蔵され、 アメリカNewsweek誌による「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれるほどになったのです。

ボーダーレスな時代をさらに拡大したい


ISSEY MIYAKEのパリコレクションのためにデザインした透明な帽子 参照:http://www.highflyers.nu/hf/tokujinyoshioka2/#startcontents

国際的に活躍する吉岡氏ですが、日本の若者ももっと積極的に海外に出ていくべきだと言います。「現在は、海外で何かをするということ自体は珍しいことではなくて、境界線がなくなっていると思います。あと10年もすれば、宇宙で何かをしましょう、という話が現実味を帯びてきて、さらに世界がどんどん近いものになってくるでしょう。それによって私たちの国際感覚という価値観も変わってくるのではないでしょうか。」
ボーダーレス化が進む社会で、吉岡氏は今後もフィールドを問わすに、個性的な作品を発表していくことでしょう。

情報や質問や感想などコメントを残そう!

モバイルバージョンを終了