山形を拠点に地元企業とともに歩むデザイナー
高橋天央氏 参照:https://www.lancers.jp/magazine/20488
高橋天央氏は1981年山形県の生まれです。2004年宮城大学事業構想学部デザイン情報学科空間デザインコース卒業した後、2005年デンマークで最古の成人教育機関といわれる「クラベスホルム・フォルケホイスコーレ」のプロダクトデザインコースを修了。2006年帰国後には大阪のデザイン会社にデザイナーとして就職します。その後、2010年に地元山形へのUターンを決意、地元で独立を果たし、現在では地元企業や職人とのコラボレーション作品を生み出しています。今回は山形で地元企業とともに歩むデザイナー、高橋天央氏をご紹介します。
留学をしてプロダクトデザイナーを目指す
「パントンチェア」。高橋氏が経営する店舗に置かれている
高校生時代の高橋氏は、周囲の友人たちの影響もあり、ファッションへの憧れが強い少年でした。その体験は、「デザイン」という、当時はまだ漠然とした自らの方向性を考えるきっかけになったといいます。
大学はファッションとは違う建築設計を選考、ただ、高橋氏は学んでいくに連れて、建築設計そのものよりもそこから派生するインテリアや家具といったものに心を奪われていきました。そして、デンマーク生まれのデザイナー、ヴェルナー・パントンの「パントンチェアー」に感銘を受けたことをきっかけに、デンマークへの留学を決意、プロダクトデザインを学ぶうちに、「プロダクトデザイナーになりたい」という確固たる気持ちを持ったのです。
子どもができたことをきっかけに、Uターンを決意
山形市あこや町にある、高橋氏が経営するカフェ&ショップ「anori」 参照:https://www.axismag.jp/posts/2023/04/536804.html
2006年に帰国した高橋氏は、大手メーカーの家電やスポーツ、アウトドア用品などのOEMを行う大阪のデザイン会社に就職。プロダクトデザインの世界に入っていきます。ただ、大量生産でつくられる製品はモデルチェンジのサイクルも年に数回おこなう必要があります。そのスピードに少し心が疲弊。子どもも生まれるタイミングも重なったため、高橋氏は地元の豊かな自然で子育てをするために2010年にUターンを決意したのでした。
地元企業とのつながりで地方でもプロダクトデザインを展開
家具製造会社の余材を使ったバッグ 参照:https://www.axismag.jp/posts/2023/04/536804.html
Uターンした高橋氏は、家具OEM生産を手がけるメーカーに転職。そこで、独立のきっかけとなる、工場から出るハギレを見つけます。高橋氏は、その椅子やソファの生地で、丈夫で耐久性があり材質もいいハギレを使用して、バッグを製作することを会社に提案。パリの展示会で好評を受けた後、事業を譲渡されることも決まり、2012年に独立を決めたのです。
地方拠点でのデザイナー活動は難しいと思っていたが……
東北パイオニアの車載用スピーカー(2022)。車種に合わせてさまざまなタイプを開発している 参照:https://www.axismag.jp/posts/2023/04/536804.html
事務所設立に当たり高橋氏が考えていたことは、「地方拠点でプロダクトデザインだけで食べていくのは難しいのではないか」ということでした。実際、山形でプロダクトデザイナーとして名前が知られているのは、1名程度しかいませんでした。そこで、高橋氏は奥さんとも協力をして事務所兼カフェとして独立。自身がデザインしたバッグや小物などを販売するスペースも設けました。
一方で、デザイナーとして、クライアント探しも積極的におこないました。クラウドソーシングや、山形県工業技術センターが運営する、山形県内の企業とデザイナーを結ぶ「オンライン“デザ縁”」なども活用して、他県のプロジェクトにも積極的に参加して、いくつかの作品を生み出しています。
地方拠点でもデザイナーに仕事が出来る喜び
「TSUMIKI Pen Stand」ヒカルマシナリー(2021)。鉄(黒染)、真鍮、ステンレス、銅の4種の金属をシンプルな形で、素材に触れて楽しめる積み木のような構成 参照:https://www.axismag.jp/posts/2023/04/536804.html
デザインの仕事が増えてきたころ、大きな転機となったのは、山形にある東北パイオニアのプロジェクトでした。車載用スピーカーの開発にあたり、外部のデザイナーを探していたなかで声をかけてくれたといいます。また、山形の金属加工会社ヒカルマシナリーとのプロジェクトでは2020年の地元豪雨災害のチャリティのために製作した「TSUMIKI Pen Stand」も好評を博しています。
ただ、このような企業プロジェクトが立ち上がるケースは、山形ではまだ少ない状況にあります。それは、下請け製造会社が多く、自分たちで企画を考えることに慣れていないことや、デザイナーの役割もあまり理解されていないこともあるようです。
しかし、高橋氏はこう話します。「デザイナーは、会社や人に寄り添う、町医者のような存在だなと思うことがあります。プロダクトデザイナーは手がける範囲が広く大変ですが、毎回、いろいろな学びや気づきに出会えるので面白いです」。この言葉のように、多くの企業がデザイナーの役割に気づき、良いデザインが生まれるということが、企業価値や商品価値を向上させることを認識することが必要です。
高橋氏のようなデザイナーが自分の生まれ育った土地で、日本全国、そして、世界中へ広がるデザインを発信していく、それはごく、近い将来に実現することでしょう。