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日本のものづくりデザイナー57~大阪浪華錫器(おおさかなにわすずき)錫器職人 後藤 竣輔(ごとう しゅんすけ)・後藤里奈(ごとう りな)

夫婦で目指す職人の道


後藤 竣輔氏 参照:https://www.athome-tobira.jp/story/171-goto-shunsuke-rina.html

後藤 竣輔氏は1990年大阪府の生まれ、 後藤里奈氏は1991年奈良県生まれの御夫婦です。両氏はともに大阪にある「大阪錫器株式会社」で、伝統的工芸品である「大阪浪華錫器(おおさかなにわすずき)」の職人として錫器の製作に関わります。社長である伝統工芸士の今井 達昌氏のもと、次代を担う職人として期待されています。

「ものづくり」への熱意から錫器職人の道へ


後藤 里奈氏 参照:https://www.athome-tobira.jp/story/171-goto-shunsuke-rina.html

後藤竣輔氏の少年時代は野球に明け暮れており、大学生になると救命救急士の資格を取得するなど、「職人」というイメージとは少し違った側面を持っています。しかし、人のために何かをしたい、というい気持ちは持ち続けており、「ものづくりで人々の生活を支えたい」との思いから錫器職人の道を選んだと言います。
一方で、妻の後藤里奈氏は少女時代から絵を描く事や工作などが好きでした。大学では陶芸を学んで子供の頃からの「ものづくり」への目標に近づいて行きます。大学卒業後には専門学校へ入学、そこで金属工芸に出会い、伝統的工芸品である「大阪浪華錫器」に魅了されたのです。

日本の錫器と「大阪浪華錫器」


鋳造の様子 参照:http://www.osakasuzuki.co.jp/koutei.html

日本に錫器が伝わったのは、約1300年前と言われています。奈良の正倉院にも保管されており、当時は金や銀に次ぐ貴重品だったと考えられています。江戸初期には京都を中心に酒器や茶器などの製造が盛んになっていきました。
大阪における錫器造りは、延宝7年(1679年)の『難波雀』に記録があり、江戸中期には心斎橋などで生産され、産業へと発展していきます。老舗の錫半が正徳4年(1714年)に開業し、多くの業者が集まり特産品としての地位を確立しました。
昭和前半の最盛期には300名以上の職人がいましたが、第二次世界大戦で材料不足や職人の招集などの打撃を受けました。それでも、昭和58年(1983年)には伝統的工芸品「大阪浪華錫器」として認定され、優れた技術や知恵を受け継ぎながら製品を作り続けています。

伝統工芸を支える夫婦


茶壺 朱竹 参照:https://osakasuzuki.shop-pro.jp/?pid=152189156

後藤竣輔氏は職人となって11年、妻の里奈氏は7年になります。しかし、一人前の職人になるにはまだ道半ばであり、新しい発見がある毎日だと言います。

その時のベストを目指す


ペーパーウェイト しろくま 参照:https://osakasuzuki.shop-pro.jp/?pid=172720489

「職人となって11年で一通り仕事は覚えた、というところまで来ました」と語る竣輔氏。しかし、「ベテランの職人さんは特注品の一点ものでも、毎日作っているかのように悩むことなくスイスイと作っていくのは、本当に凄いと思います」とも語り、「今は自分のできる範囲でベストを出し切ることを意識しています」と、これからも自分の実力を高めていくことに意欲を示しています。

使う人の気持を大切にした「ものづくり」


ぐい呑み 花鳥風月 参照:https://osakasuzuki.shop-pro.jp/?pid=172787228

妻の里奈氏が担当をしている仕事は、中仕事と言われる、表面の仕上げ、注ぎ口や持ち手のパーツをつけるロウ付け作業です。現在では製作のほとんどはできるようになりましたが、「少ない手数で手早く、求められている仕事ができるようになりたいです」と、さらなるレベルアップに意欲を持っています。
竣輔氏、里奈氏の信念となっているのは、自分たちの作ったものが「使う人の宝物になって欲しい」ということ。それを実現させるために、日々、職人として成長しようと努力しています。
伝統を引き継ぎながら、これからの時代の「大阪浪華錫器」がどのように2人の手でつくられていくのか、多くの人が期待しています。

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