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日本のものづくりデザイナー59~ジュエリーデザイナー 植松幹雄(うえまつ みきお)

独学で学んだジュエリーデザインで全国展開するデザイナー

植松幹雄氏 参照:http://www.naraigoto.jp/specialist/special_0006/index.html

植松幹雄氏は1947年静岡県富士市生まれです。同氏が生みだすナチュラルなデザインが特徴のジュエリーは、日常生活の中でも輝いてくれることで、人気を得ています。独学で学んでデザインしているという個性的な作品は、どのようなインスピレーションから生まれるのでしょうか。今回は ジュエリーデザイナーの植松幹雄氏をご紹介していきます。

ジャズ喫茶、ファッションと、好きなことを仕事に

富士市にある「La-roux(ラ・ルー)」のアトリエ

植松氏のキャリアの始まりは、宝飾メーカーの企画から始まります。ただ、その後は大好きだったジャズを仕事にするため、29歳の時に静岡県三島市でジャズ喫茶を開業します。
また、ジャズと同じくらい好きだったというファッションでも仕事をするため、沼津にセレクトショップを開きます。このように、好きなことを仕事にすることが、植松氏の原動力となっているのかもしれません。
そして、「ショップでは、当然アクセサリーも取扱っていましたが、国内のファインジュエリーは高いし、提案したいファッションに合うものがありませんでした。それなら、自分でつくってしまえと思いました」と語るように、ジュエリーデザインとの出会いは、このセレクトショップから始まります。

気軽に服に合わせるジュエリーを

うるわしのconch pearl 参照;https://www.instagram.com/p/ByG4SnqHvXv/

時を同じくして、植松氏はコム・デ・ギャルソンのランウェイショーなどを手掛けていた造形作家とつながりを持ち、造形デザインを教わるようになりました。この出会いをきっかけに、40歳のとき独学でジュエリーデザインの勉強を始めることになるのです。
そして、植松氏が目指したものが気軽に服に合わせるジュエリーでした。「『宝飾屋さん』で売っている『宝飾品』は、ジュエリーとしての資産価値だとか、希少価値が優先されていて、洋服に合わせるという発想が後回しにされている。当然浮いちゃうわけですよね。だから、気軽に服に合わせられて、いつでもデイリーに付けられるジュエリーを創りたいと思いました」と、当時のことを語ります。

インスピレーションを大切にしたデザイン手法

Amber Tangerine Goldenを使用したアクセサリー 参照:https://www.instagram.com/p/CIHmYA2BgbK/

創作ジュエリーを始めてから6年ほど経過して、当時のBIGIに売り込みをかけ、「おもしろいじゃない!」と評価されたのをきっかけに、同グループでアクセサリーを全国展開。1988年には、オリジナルジュエリーブランド「La-roux(ラ・ルー)」を立ち上げ、インスピレーションを大切にしたデザインで多くのアクセサリーを全国展開しています。

デザイン画は描かない

純白の透き通った和紙の様 参照:https://www.instagram.com/p/BfSicDvFYfu/

「デザイン画はほとんど描きません。ブロックワックス(蝋の塊)を使い、いきなり削りだします」と、独自のデザイン手法を語る植松氏。
「実際の石を見て、そこから浮かぶインスピレーションがデザインです。人の使わない石が好きで、その石そのものをインスピレーションの源にします。キラキラ輝く石にはあまり興味がありません」とも語ります。個性的な原石をインスピレーションで造作していき、独自のデザインを生みだす手法は、独学だからこそ得られた感性なのかもしれません。

デザインにもジャズのようなアドリブを

淡いグリーンの emerald 鮮やかな イエロー sapphireのアクセサリー 参照https://www.instagram.com/p/BnfWZcHHKue/

「一つひとつそれぞれに違う魅力があるから、全く同じものを創れるはずがないんです」と語る植松氏。
「創る工程にアドリブと偶然が重なって、二つとないものが生まれます。それは僕の好きなジャズとつながっています」との言葉通り、ジャズのアドリブにも似たユニークさが、植松氏のジュエリーの大きな魅力であり人気の所以でもあります。根強いファンがいる同ブランドでは、これからも多くの個性的な作品が生み出されていくでしょう。

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