35年ぶりに江戸手描き鯉のぼりを復活させた女性
金田鈴美氏 参照:https://organcraft.com/journal/suzumi-kaneda-1
三代目金龍こと、金田鈴美(かねだすずみ)氏は1992年東京都の生まれ。創業から50年以上人形づくりを続ける「秀光人形工房」の長女です。子供の頃から絵を描くのが好きで、美術大学に進学、家業である 秀光人形工房に入社し、現在では江戸時代から続く手描き鯉のぼりの手法を習得して、三代目金龍を襲名。今回は伝統を受け継ぐ職人となった金田氏をご紹介します。
小さな頃から家業に携わることを意識していた
手描き鯉のぼり 参照:https://organcraft.com/journal/suzumi-kaneda-1
「小さな頃から伝統工芸品を製作する家庭で育ったので、遊び場は専ら工房の中でした。秀光人形工房は当時からお雛様や五月人形、鯉のぼりなど様々なものを作っていたので職人さんがたくさん働いていて。可愛がられるというか、育ててもらっていたみたいなところはありますね。そういった環境もあり、将来は自ずと何かを作るということは意識していたのではないかな」と、語る金田氏。小さな頃から家業を意識し、特に鯉のぼりを意識して絵を描く事に興味があったといいます。
その気持を貫くため、中学、高校と女子美術大学の付属校に通い、大学にも進学。デッサンなどを学びながら、幼い頃から憧れていた鯉のぼり作りをやりたいと本格的に思い始めていたといいます。そして、卒業と同時に秀光人形工房に就職を果たします。しかし、憧れとは裏腹になかなか鯉のぼりの製作には携われなかったといいます。
乖離する効率化の波と夢の実現
参照:https://organcraft.com/journal/suzumi-kaneda-1
高校生の頃から鯉のぼりの勉強をしていた金田氏。しかし、入社後のメインの仕事は雛人形などの製造で、鯉のぼりの修行は余った時間でやるしかなかったといいます。それには、手描きの鯉のぼりは手間がかかるにもかかわらず、利益率が低いからという企業としては当然とも言える理由がありました。
江戸手描き鯉のぼりは初代川尻金龍が絵柄を確立させ、金田氏の父が二代目金龍を継ぎました。ただ、企業として高度成長期の時代の波に合わせるために二代目は捺染(なっせん)という、手刷りのシルクスクリーン印刷のような手法で生産をしていたのです。効率化と伝統技法の伝承という、工芸品メーカーにおける大きな問題点が金田氏を悩ませます。
しかし、金田氏は父の手法を理解しながらも、初代が確立した「手描き」にこだわり続けました。その結果、二代目の許しも得て、修業を続け三代目金龍を襲名するに至ったのでした。
唯一無二、「江戸手描き鯉のぼり」が空を泳ぐ姿
手描きの様子 参照:https://organcraft.com/journal/suzumi-kaneda-2
手描きをすることによって、鯉のぼりは一つ一つ違うものになり、それぞれに唯一無二の鯉のぼりとなります。それこそが、手作りにより「魂を宿した」製品とも言えます。
クオリティの維持に欠かせない染料
参照:https://organcraft.com/journal/suzumi-kaneda-2
手描き製造では、クオリティの維持が非常に重要になっていきます。それぞれの製品で絵柄の個性があるのは味わいとなりますが、クオリティの差は許されません。その重要な鍵を握るのが染料で、調合するのも職人である金田氏自身です。「どうしても布に水分が含まれるので、天気を読みながら染料を作っていくんですが正解が毎日違います。感覚的に作っている分、経験が必要な業務。気を抜くと滲んでしまうし、滲まないように粘土を固く作ると筆がうまく動かないこともある」と、語るように、細かい気遣いを重ねながら、唯一無二の鯉のぼりがつくられていくのです。
どちらが良いかではなく、違いを知ってほしい
参照:https://organcraft.com/journal/suzumi-kaneda-2
既存の鯉のぼりと、金田氏がつくる江戸手描き鯉のぼり。製法が違えば、その泳ぎ方も違ってくるといいます。「手描き製品は木綿の布を使っていて、飾った時にゆったりおおらかな動きで泳ぐこと、また金色を多用しているので反射を受けて鱗が煌めくように表現出来ているのが特徴です。捺染はナイロンやポリエステルなどシャカシャカした素材に染めるのですが、元気よく泳ぐ反面少し忙しないように見えて。ただ、どちらにも独自の良さがあると思っています」と、語る金田氏。どちらが良いか、というわけではなく、どちらが好きか、という視点で見てほしいと思っているようです。
これからも、「この先も昔からの作風は主軸において時代に合わせて柔軟に仕様変更にも対応しながら一生モノづくりを続けていきたい」と言う金田氏。さらに精進して、次世代にバトンを渡したいという夢も語っていました。